箱根駅伝記憶に残る選手たち名言連発有名選手とピコンピコンを鳴らした主将も

2023年が明ければまもなく箱根駅伝のスタートです!
箱根に強い青山学院が連覇達成?
好調駒澤大学が悲願の学生駅伝3冠?
はたして最初にゴールテープを切るのはどの大学なのでしょうか!

有力選手たちの調整具合も気になるところです。
今年がラストイヤー、駒澤大学の田澤廉選手。
青学のダブルエース岸本大紀選手と近藤幸太郎選手。
さらには中央大学の吉居兄弟と、注目選手が目白押し!

箱根駅伝ではこれまでにも多くの選手が力走を見せ、ひとりひとりのランナーに記録される数字だけではわからないドラマがありました。
きっと箱根駅伝ファンにとって印象深い選手はひとりやふたりではないでしょう。
歴代有名選手もたくさんいますが、今回は特に比較的最近の箱根駅伝から、多くのファンの記憶に残る選手を3人紹介したいと思います。

目次

箱根駅伝を走った記憶に残る選手、1人目は?

最初に紹介するのは、帝京大学に在籍していた遠藤大地選手です。

遠藤大地選手ってどんな選手?

遠藤大地選手は2019年の第95回大会から2022年の第98回大会まで、4年間にわたって箱根駅伝を走った帝京大学の主力選手です。

毎年区間上位の順位で好走していますが、区間賞をとったことは一度もありません。
チームを優勝に導いたというようなこともありません。

どうして記憶に残る選手といわれるの?

遠藤大地選手は4年間毎年箱根駅伝の3区を走り、必ず好成績を残す選手だったからです。

4度の箱根駅伝で残した遠藤選手の区間順位の記録がこちらです。

第95回大会(1年生) 3位
第96回大会(2年生) 2位
第97回大会(3年生) 4位
第98回大会(4年生) 4位

このように、遠藤選手は3区を走れば必ず上位でたすきをつないでくれると思わせる選手でした。

3年生だった年はコロナ禍。
思うように練習ができず、年内に出場した別の駅伝では大きく順位を落とすなど苦しみました。
しかし、箱根駅伝ではしっかりと調子を上げ、8人を抜く走りでチームの順位を押し上げています。

箱根の3区は遠藤大地の区間だと、駅伝ファンは知っていたのです。

怪物ルーキーの「参りました」

第96回箱根駅伝。
3区を走り切った選手たちが続々と飛び込んでくる中継所では、大記録を打ち立てた東京国際大学のヴィンセント選手や1年生ながら区間記録を更新する走りを見せた怪物ルーキー田澤廉選手に注目が集まっていました。

しかし、インタビューに答える田澤選手は浮かない顔。
区間賞は外国人留学生選手が獲得しましたが、実は田澤選手、日本人トップも逃して区間3位だったのです。
今や駒澤大学の絶対的エースに成長し、世界を目指す田澤選手。
その田澤廉選手の箱根デビューを苦い記憶にしたのは、このとき日本人トップのタイムを出した遠藤大地選手でした。

【第96回大会 3区区間順位】
1位 イエゴン・ヴィンセント(00:59:25)
2位 遠藤大地(01:01:23)
3位 田澤廉(01:01:25)

中継所のテントの下、田澤選手は遠藤選手のもとに向かうと「参りました」と頭を下げます。
怪物ルーキーの行動に驚いた様子を見せながら、こちらもぺこっと頭を下げる遠藤選手の笑顔を覚えている箱根駅伝ファンは多いかもしれません。

先頭に立つことができなかった遠藤大地選手のラストラン

箱根駅伝で常に区間上位の好走を見せていた遠藤大地選手は、すでに陸上競技を引退しています。
宮城出身の遠藤選手は、災害復興にかかわる仕事を希望して地元で就職することを最後の箱根の前に決めていたのです。

もともと経済的な理由で両親から大学進学を反対されていたという遠藤選手。
箱根駅伝に挑戦できたことに感謝し、今後は地元で両親に恩返ししていきたいと語っています。

まだ記録も伸びなかった高校生のころ最初に声をかけてくれた帝京大学の中野孝行監督に見守られ、遠藤大地選手のラストランはゴールを迎えました。
いくつかの大学に声をかけられるような選手に成長しても、遠藤選手はほかの強豪大学ではなく帝京大学を進学先に選んでいます。
最初に声をかけてくれた中野監督への恩や縁を大事にしたかったそうです。

チームの順位を上げてたすきをつないだ遠藤選手に、車の中から中野監督が声をかけます。

「遠藤おつかれさん、ありがとう」
「よくがんばった、辛抱した、ありがとう」

一度も区間賞をとることはなかった遠藤大地選手。
眼鏡をかけた姿で取材に応じる遠藤大地選手は物静かな印象の青年でした。
見た目や言動に派手なところはありません。

しかし、箱根の3区といえば遠藤大地。
遠藤選手の4年間の好走は、箱根駅伝ファンの記憶に強く残っているのです。

参考:Number Web
参考:「続報!箱根駅伝 G+特別編 第96回大会」(日テレジータス)
参考:「もうひとつの箱根駅伝」(日テレジータス)

箱根駅伝を走った記憶に残る選手、2人目は?

次に紹介するのは、東海大学に在籍していた館澤亨次選手です。

館澤亨次選手はどんな選手だったの?

トラック競技、主に1500メートルが専門の選手です。
東海大学では黄金世代と呼ばれた世代のひとりで、1年生のころから学生三大駅伝に出走し、その多くで区間1位または2位の好走を見せました。

第95回箱根駅伝では4区区間2位の走りで東海大の箱根駅伝初優勝に貢献。
最終学年の4年生では主将を務めています。

どうして記憶に残る選手といわれるの?

4年生の箱根駅伝6区で見せた激走がその理由です。
故障明けで出場した箱根駅伝で、館澤亨次選手はそれまでの記録を40秒も上回る驚異の区間新記録を打ち立てています。

走りでチームに貢献できなかった主将

箱根駅伝で初優勝を果たしたあと、4年生たちの引退を受けて新主将に任命された館澤亨次選手。
就任当初は、言葉よりも成績で部員たちを引っ張っていけたらいいと考えていました。

ところが、夏ごろに大きな故障が見つかります。

そこから館澤選手の生活は治療とリハビリが中心になり、主力選手が参加する合宿にも同行できず。
駅伝シーズンに入っても出雲駅伝と全日本大学駅伝には4年間で初めて出場できませんでした。
館澤亨次選手の大学最後の年は、走りでチームに貢献できないことに焦り、苦しんだ1年間になりました。

ぶっつけ本番の箱根でたたき出した驚異の新記録

大学生活最後の駅伝となる箱根駅伝で、館澤亨次選手は山下りの6区にエントリーされます。
ぶっつけ本番ともいわれたこのレースで、館澤選手は驚異の記録をたたき出します。

復路最初の区間をスタートした館澤選手は、力強い走りで山をくだり坂をのぼっていきます。
館澤選手自身も苦しかったという最後の直線では、伴走の車から両角速監督の声がかかります。
「もう2度と抜けない記録をつくってみろ」

区間新記録のタイムが出たとき、テレビ中継ではピコンピコンという音が流れます。
たすきをリレーした直後、勢いのまま転がるように倒れ込む館澤選手。
呼吸が荒く自力で立ち上がれない館澤選手の姿を映し出すテレビ画面には、区間記録更新を告げる「ピコンピコン」が鳴り響きました。

57分57秒だったそれまでの区間記録から40秒を縮める57分17秒。
館澤選手のタイムを知らされた他大学の選手たちが「ありえない」などと驚きの声をあげる様子から、どれだけすごい記録なのか想像することができます。
ゴールしたあと裸足になった館澤選手の踵は真っ赤になっていました。

温厚な主将が箱根で示した主将の意地

負けず嫌いともいわれる館澤選手ですが、普段の話し方は本当に穏やか。
大会に出場できない間も、チームの裏方として選手たちを支え続けました。
最後に走った6区、中継地点で待っていた1年生の選手にたすきを渡すときには、苦しげな顔を一瞬だけひっこめて笑顔で送り出したように見えました。
主将に選ばれたのは、彼の人柄も評価されてのことだったのでしょう。

箱根駅伝ファンに人気があった東海大学黄金世代。
そんな黄金世代の選手たちのなかから主将に任命された館澤選手が見せた意地の激走は、区間記録とともに多くの箱根駅伝ファンの記憶に残っています。

参考:「第96回箱根駅伝 絆の物語」(日本テレビ)
参考:「続報!箱根駅伝 G+特別編 第96回大会」(日テレジータス)
参考:「もうひとつの箱根駅伝」(日テレジータス)

箱根駅伝を走った記憶に残る選手、3人目は?

最後に紹介するのは、東洋大学に在籍していた今西駿介選手です。

今西駿介選手ってどんな選手なの?

3年連続で強豪東洋大学の6区を任された選手です。
毎年好走しましたが、遠藤大地選手と同様に区間賞をとったことはありません。

どうして記憶に残る選手といわれるの?

いつも明るく、チームのムードメーカーだった今西駿介選手。
そのユニークな発言が、箱根駅伝ファンの記憶に残っているのです。

箱根駅伝ファンの記憶に残る今西駿介選手の発言

発言その1「人間じゃねー、あれ」

箱根駅伝で6区を走った青山学院大学の小野田勇次選手を指しての発言です。

今西選手が初めて箱根駅伝を走った94回大会。
トップでたすきをもらった今西選手ですが、小野田選手の猛追に遭い逆転を許してしまいます。
小野田選手の強さを目の当たりにして思わず漏れた言葉でした。

小野田選手に対する畏怖の気持ちがシンプルに表現されたこの発言は、小野田選手の代名詞ともなりました。
そしてこの発言で、今西駿介選手は駅伝ファンの間で一躍有名選手になったといいます。

発言その2「俺もういいよ6区」

第95回大会で再び6区を走った今西駿介選手。
今西選手は昨年より1分以上もタイムを縮めて区間3位の力走を見せます。

ところが、同じくこの年も6区を走った小野田選手は2年連続区間賞を獲得するだけでなく区間新記録のタイムをたたき出してしまうのです。
思わず漏れた言葉がこの「俺もういいよ6区」。

投げやりに聞こえる発言もどこかユーモラスで笑いを誘い、また箱根ファンの注目を集めることに。
箱根駅伝ファンに愛される今西選手のキャラクターならではです。

発言その3 「結局万年2位や」

もういいよと言った6区ですが、今西駿介選手は箱根駅伝ラストイヤーの4年生でもまた走ることになります。

今西選手は昨年の自分のタイムをさらに更新し区間新記録をマークしますが、前述の館澤亨次選手の大記録に阻まれて区間2位。
この年は出雲駅伝、全日本大学駅伝とともに区間2位だったため、「結局万年2位や」というグチが飛び出る結果となりました。
さらに、館澤選手のタイムを聞いて「はあっ?」

実は、この年の今西選手の記録はあの小野田選手が区間新記録を出した年のタイムを上回っています。

「人間じゃねー」と感じた選手の記録を超えても、小野田選手に勝ったとは思わないという今西選手。
3年連続箱根駅伝の6区を立派に務め「いい思い出になりました」とインタビューを笑顔で締めくくりました。

チームに欠かせない存在だったまさに「記憶に残る選手」

11年連続上位3位以内に入る強豪チームだった東洋大学。
しかし、今西駿介選手が4年生の年は、総合10位に終わります。

後日、箱根駅伝の裏側に密着した番組で、大会終了後の今西選手の挨拶が放送されました。
言葉に詰まりながらもしっかりと言葉を重ね、「負ければ自分たち4年生のせい」と言い切り頭を下げる姿に視聴者の胸が痛みます。
東洋大学で陸上を続けた4年間を「ほんとに苦しい4年間だった」という今西選手。
監督はじめ支えてくれた人たちとついてきてくれた下級生への感謝を口にします。
ユニークな発言で有名になった今西選手の真摯な言葉の数々に、心を打たれた駅伝ファンは多かったでしょう。

1番にはなれなかった選手。
しかし、きっとチームにとって欠かせない存在でした。
間違いなく箱根駅伝ファンの記憶に残る選手だったといえるでしょう。

参考:4years.
参考:「続報!箱根駅伝 G+特別編 第96回大会」(日テレジータス)
参考:「もうひとつの箱根駅伝」(日テレジータス)

まとめ

  • 箱根駅伝を走った記憶に残る選手に、帝京大学に在籍していた遠藤大地選手がいる
  • 遠藤大地選手は4年間毎年箱根駅伝の3区を走り、必ず好成績を残す選手だった
  • 箱根駅伝を走った記憶に残る選手に、東海大学に在籍していた館澤亨次選手がいる
  • 館澤亨次選手は主将に就任した年に故障でチームに貢献できず、最後の箱根で区間新記録を打ち立てる意地を見せた
  • 箱根駅伝を走った記憶に残る選手に、東洋大学に在籍していた今西駿介選手がいる
  • 今西駿介選手は、6区の好走はもちろん、ユニークな発言でもファンの記憶に残る選手だった

いかがだったでしょうか。
今回紹介したのは3人だけですが、箱根駅伝ファンひとりひとりそれぞれに忘れられない選手がいるでしょう。
来年の箱根でもまた、ファンの記憶に残る選手が何人も生まれるはずです。

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