FC町田ゼルビアの黒田剛監督は、2022年まで青森山田高校サッカー部の監督を務めていました。
高校生にサッカーを指導していた黒田剛監督は、教員免許を持った「先生」なのでしょうか?
教員免許を持っているとすれば、どの教科を教えていたの?
今回は、黒田剛監督が何の先生なのか調査しました!
黒田剛監督は教員免許を持ってる?
黒田剛監督は、大学時代に教員免許を取得しています。
上で紹介したのは、鈴木啓太さん(元Jリーガー)のYouTubeチャンネルで公開された動画です。
この動画の中で、黒田剛監督は大学時代に教員免許を取得したことを肯定しています。
教育実習は母校の高校でおこなったそうですよ。
本当に先生なんですね!
黒田剛監督は何の先生?教えられる教科は何?
黒田剛監督は、保健体育の先生だと思われます。
- 出身学部で取得できるのが保健体育の教員免許である
- 出身学部には体育の先生を目指して進学した学生がいる
- 息子さんが父親の経歴の1つに「体育の教員」をあげている
先に触れたように、黒田剛監督が教員免許を取得したのは大学時代。
黒田剛監督が通っていたのは大阪体育大学の体育学部で、2024年にスポーツ科学部と名称を変えています。
大阪体育大学のホームページを見ると、スポーツ科学部で取得できる資格に中学校・高校の保健体育の教員免許が紹介されています。
進学情報サイトに掲載されているアンケート結果から、大阪体育大学体育学部の学生または卒業生の中には、体育の先生になることを目指して大学を選択した人がいるのもわかります。
また、黒田剛監督の息子さんも、取材の中で父親の経歴について「体育の教員」と発言しています。
以上のことから、黒田剛監督が教えていた教科は保健体育だと考えられます。
高校サッカー部の監督になるのに教員免許は絶対必要?
教員免許は絶対に必要というわけではないようです。
サッカーの監督やコーチになるのに資格はいらないの?
日本サッカー協会は、指導者の資格制度を定めています。
サッカーの指導者を本格的に目指す人は、この資格制度に基づくライセンスを取得するようです。
教員免許を取得する人もいる
一方で、サッカーの指導者を目指して教員免許を取得するケースもやはりあるようです。
選手として大きな実績を残していない場合、プロの世界で指導者になるのはなかなか難しい様子。
強豪校の監督として迎え入れられるのにも、選手または指導者としての実績が必要です。
選手としても指導者としても実績がないなら、学校の先生になって部活動でサッカーを指導しよう!
こんなふうに考えて現役引退後の選手が一念発起、教員免許の取得を目指すケースもあるとか。
もちろん黒田剛監督のように、将来を見越して学生時代に教員免許を取得している選手も珍しくはないようです。
教員と指導者の両立って大変じゃないの?
メリットとデメリット、どちらもあると考えられます。
教員と指導者を両立するときのメリット
- 子供たちと触れ合う機会が多いので、コミュニケーションの取り方などのスキルが身につく
高い技術を持っているだけでは指導はうまくいきません。
子供たちの信頼を得られるようなコミュニケーションの取り方、意図を伝えるための工夫も必要です。
教員は、普段の学校生活を通じてそれらのスキルを身につけられる可能性があります。
教員と指導者を両立するときのデメリット
- どちらの仕事もしなければならないので負担がかかる
- 普段の学校生活でも選手とかかわるため、客観的に見づらくなる
デメリットは、身体的な負担に限らず精神的なものも。
かかわる時間が長くなるほど、客観的な目で選手たちやチームを見るのが難しくなるといいます。
先生の自分と監督の自分を切り替えなければならないのに、ストレスを感じる人もいるようです。
黒田剛監督はどんな経緯で青森山田高校の監督になったの?
前任の監督の辞任がきっかけで、当時コーチだった黒田剛さんに声がかかったそうです。
25歳でコーチから監督へ
- 大学を卒業後、ホテル業界に就職
- 数か月後にホテル業界の仕事を退職
- 1993年に高校の臨時教諭として勤務(サッカー部コーチも兼任)
- 1994年に青森山田高校サッカー部のコーチ就任
- 1995年に青森山田高校サッカー部の監督就任
黒田剛監督は、いったんは別の業界に就職したものの退職。
指導者の道を歩み始めます。
1994年に、指導者を探していた青森山田高校サッカー部のコーチに就任。
ところが翌1995年に前任の監督が辞任してしまいます。
残った指導員は黒田剛コーチ(当時)1人。
その結果、黒田剛コーチに監督就任の声がかかったそうです。
当時の黒田剛さんは、なんとまだ25歳でした。
青森山田って強豪ですよね?
そんな簡単に25歳のコーチを監督にしちゃうんですか?
当時の青森山田高校の状況は、今とはずいぶん違ったようです。
- グラウンドをラグビー部と半分ずつ使用していた
- 使用できるグラウンドの面が四角形ではなく、綺麗なサッカーコートは作れなかった
- 数百人を擁する現在とくらべて部員数も少なかった
- 成績は県内ベスト16からベスト4の間を行き来していた
(黒田剛監督の談話より)
当時から全国屈指の強豪校だったわけじゃないんですね。
とはいえ、県内でベスト4に残ることもあった学校です。
指導実績の浅い25歳の若者が監督に就任したなんて、やっぱりすごい話ですよね。
出典:【孤独】青森山田高校・黒田剛監督が語る弱冠25歳で監督に就任した苦悩(鈴木啓太 / Keita Suzuki)(https://www.youtube.com/watch?v=K62GSHo-zz8)
黒田剛監督は、青森山田高校でも先生として授業をしていたの?
授業もしていましたし、担任を持つこともあったそうです。
黒田剛監督は、長期にわたって青森山田高校の教員とサッカー部の監督を両立。
担任を持ったクラスにサッカー部の部員がいることもあったとか。
担任の顔と監督の顔、両方見られることにストレスを感じたりもしたようです。
監督退任までの数年間は、青森山田中学校に異動して教頭や副校長の役職に就いていたそうです。
高校サッカー部の監督なのに、中学校の教頭先生をしていたんですか?
そのようです。
青森山田高校サッカー部は、中学校との連携を重視しているとか。
その点で、黒田剛監督が中学校の所属になることにもメリットはありそうですね。
出典:青森山田・黒田剛監督が明かす、その強さの背景 「思考を共有する」組織マネジメントとは(REAL SPORTS)(https://real-sports.jp/page/articles/473783615008801595/)
黒田剛監督は、なぜ青森山田高校の監督を退任したの?
FC町田ゼルビアから受けたオファーに応じる決意をしたからです。
青森山田高校を辞めてからオファーがあったんじゃなくて、在任中にオファーをもらったんですね。
なぜ、強豪校の監督を退任してまで町田のオファーを受けたんだろう?
黒田剛監督が、当時J2リーグのチームだったFC町田ゼルビアのオファーを受けたのには、次の理由があったようです。
①「監督として招きたい」というオファーは初めてだった
②1人のサッカー人として挑戦してみたいという思いがあった
③高校指導者の価値向上に貢献できる可能性があった
【理由①】「監督として招きたい」というオファーは初めてだった
青森山田高校サッカー部を指導して輝かしい実績を残していた黒田剛監督には、ほかにもさまざまな声がかかっていたようです。
その中でも、監督のポストを用意していたのはFC町田ゼルビアだけでした。
黒田剛監督は、そこにFC町田ゼルビアの大きな覚悟を感じたそうです。
【理由②】1人のサッカー人として挑戦してみたいという思いがあった
青森山田高校に残って定年を迎える道。
プロという未知の世界に飛び込む道。
どちらを進むか選択を迫られたとき、黒田剛監督は安泰より挑戦を選んだようです。
【理由③】高校指導者の価値向上に貢献できる可能性があった
黒田剛監督によれば、直接プロの監督になった高校サッカーの現役指導者はこれまでにいないそうです。
今まで高校サッカーの現役指導者から直接プロの監督になった例はありません。
引用元:「あの人を訪ねたい 黒田 剛」(日商 Assist Biz)(https://ab.jcci.or.jp/article/77652/)
黒田剛監督がJリーグで結果を残せば、高校サッカーの指導者がプロの世界でも通用するという一例になります。
高校指導者のレベルの高さを示してその価値が高まれば、高校サッカー界の将来にとってもいい影響がある可能性がありますよね。
出典:「あの人を訪ねたい 黒田 剛」(日商 Assist Biz)(https://ab.jcci.or.jp/article/77652/)
まとめ
- 黒田剛監督は、大学時代に教員免許を取得しています。
- 黒田剛監督が取得したのは、保健体育の教員免許だと思われます。
- 高校サッカー部の監督になるのに、教員免許は絶対に必要というわけではないようです。
- 教員と指導者の両立には、メリットとデメリットどちらもあると考えられます。
- 黒田剛監督が青森山田高校サッカー部の監督に就任したのは、前任の監督の辞任がきっかけだったそうです。
- 黒田剛監督は、青森山田高校でも先生として授業をしたりクラス担任を務めたりしていたそうです。
- 黒田剛監督が青森山田高校サッカー部の監督を退任したのは、FC町田ゼルビアから受けたオファーに応じる決意をしたからです。
青森山田高校のような強豪校の監督は、監督業だけをしているのかと思っていました。
黒田剛監督が授業を持つだけでなく担任もしていたとはびっくりです。
体育の先生が今はプロの世界で戦っているなんて、夢がありますよね。