箱根駅伝はなぜ箱根で開催される?過酷な山登りをコースに含む理由

2023年の箱根駅伝は、駒澤大学の優勝で幕を閉じましたね。
花の2区では各大学のエースたちによるデッドヒートが繰り広げられ、レース後には駒澤大学の大八木弘明監督が今季限りで勇退を発表するなど、今年も箱根駅伝はお正月の話題をさらったようです。

ところで、箱根駅伝のテレビ中継を見ていると、選手たちが急な上り坂を険しい表情で駆け上がっていく様子が映し出されることがあります。
特に1日目、往路の最終区間は通称「山登りの5区」!
曲がりくねる山道を走る選手たちは本当に大変そうです。
小田原中継所との標高差は800メートルを超えるのだとか。

しかも、高度が上がれば気温も下がります。
体力的に厳しいだけでなく、山は寒いのです!
過去には、山道で体温を奪われて体が動かなくなり、崩れ落ちるようにゴールテープを切った選手の姿もありました。

そんな選手たちの様子を目にすると「どうしてこんなに過酷なコースを走らせるんだろう?」と不思議に思ってしまいませんか?
箱根駅伝は、なぜ箱根をコースに選んでおこなわれるようになったのでしょう?

そこでこの記事では、箱根駅伝が「東京~箱根間」で開催されるようになった理由について調べてみることにします!

目次

箱根駅伝は、なぜ箱根で開催されているの?

それは、箱根駅伝の始まりとされる駅伝が、「東京~箱根間」を走行するコースで開催されたからです。

箱根駅伝の始まりとされる駅伝って?

ある駅伝の出場者を選考するための予選会として、1920年に開催された駅伝大会のことです。

この予選会のコースに、いくつかの候補の中から箱根の山を含む「東京~箱根間」が選ばれました。
選手たちが箱根路を走ったこの予選会が、お正月の風物詩「箱根駅伝」として今に残っているのだといいます。

箱根駅伝開催につながった「ある駅伝」とは?

では、この「東京~箱根間」をコースに予選をおこなった「ある駅伝」とはどの大会のことだったのでしょう。

それは、「アメリカ大陸横断駅伝」です!

なんと、箱根駅伝の始まりは「アメリカ大陸横断駅伝」の予選会だったそうなのです。

アメリカ大陸横断とは、なんともスケールの大きな話です。
いったいどういうことなのか、もう少し詳しく知りたくなりますね。

「東京~箱根間」で開催された「アメリカ大陸横断駅伝」の予選会が、箱根駅伝の始まりだったんですね。
実は箱根駅伝の由来にはほかの説もあるようですが、今回は多くの記事などで取り上げられている「アメリカ大陸横断駅伝」の説をご紹介しようと思います。

「アメリカ大陸横断駅伝」って何?

箱根駅伝の始まりとされる「アメリカ大陸横断駅伝」の予選会。
この「アメリカ大陸横断駅伝」とは、いったいどういう大会なのでしょう?

「アメリカ大陸横断駅伝」とは、3人の男たちが開催を夢見た幻の駅伝大会のことなのです。

「アメリカ大陸横断駅伝」の開催を企画した3人の男たちって誰?

金栗四三(かなくり しそう)

沢田英一(さわだ えいいち)

野口源三郎(のぐち げんざぶろう)

以上の3人が、「アメリカ大陸横断駅伝」を企画した男たちです。
3人とも陸上競技の選手です。

金栗四三は日本人初のオリンピック選手であり、「日本マラソンの父」と呼ばれた人です。
大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」をご覧になっていた方には覚えのある名前かもしれません。
主演の中村勘九郎さんが演じたのが金栗四三でしたね。
ちなみに、沢田英一を演じたのは矢崎広さん。
野口源三郎を演じたのは永山絢斗さんでした。

1919年(大正8年)、同じ汽車に乗り合わせたこの3人が意気投合して打ち上げた計画が、「アメリカ大陸横断駅伝」の創設だったのです。

3人はなぜ「アメリカ大陸横断駅伝」を創設しようと考えたの?

世界に通用する日本人長距離ランナーを育てるためです。

汽車旅の道中、陸上競技に携わる男たちが顔を寄せ合えば、日本の陸上競技の現状や課題について話は尽きなかったことでしょう。
その中で金栗四三は、多くの長距離ランナーを一度に育成するうえで駅伝がいかに有効か熱く語ったといいます。

金栗四三は1912年にストックホルムでおこなわれたオリンピックに出場しましたが、マラソンコースを完走することはかないませんでした。
オリンピックで勝てる日本人ランナーの育成に対して、強い思いがあったのかもしれません。

かくして彼らは、多くの日本人長距離ランナーの効率的な育成を目指して新しい駅伝を企画しようとしたのです。

なぜアメリカだったの?

それにしても、なぜアメリカだったのでしょう?
アメリカ大陸横断なんて随分スケールの大きな話ですよね。
日本国内での開催では駄目だったのでしょうか?

そこには、どうやら金栗四三たちの「世界を驚かせたい」という思いが関係したようなのです。

日本国内ではどうして駄目だったの?

新しい駅伝の企画について話が盛り上がると、どこで開催するのがいいかという話になります。
日本では、1917年に「京都~東京間」を走る「東海道駅伝徒歩競争」が開催されていました。
さらに、金栗四三や沢田英一は「下関~東京間」「札幌~東京間」といった日本国内の長距離区間をこのときすでに走破していたのだといいます。
そのため、3人には日本国内での開催は目新しさに欠けるという思いがあったようです。

そこで思いついたのが、アメリカ。
アリゾナの砂漠やロッキー山脈を越える「サンフランシスコ~ニューヨーク間」というとんでもないコースです!

金栗四三たち3人は、「これなら、きっと世界中の人たちが驚くだろう」という思いでこの計画を立てたのでしょう。
世界に通用する日本人長距離ランナーを育てたいという意気込みと同時に、金栗四三たちには日本人の力で世界中の人をあっと言わせたいという気持ちも強くあったようです。

箱根駅伝は、金栗四三たちの「強い日本人長距離ランナーを育成したい」という思いから生まれた「アメリカ大陸横断駅伝」構想があったからこそ誕生した大会だったんですね。
それにしてもアメリカ大陸横断とは!
金栗四三たちの発想と行動力には驚きです。

「アメリカ大陸横断駅伝」の予選会は、なぜ箱根で開催されたの?

では、「アメリカ大陸横断駅伝」の予選会が箱根を含むコースで開催されたのはなぜなんでしょう?
その理由は、次の2点です。

  • 箱根には、天下の険と歌に残る険しい山があったから
  • 「東京~箱根間」が、交通の利便性に優れていたから

険しい山があったから箱根が選ばれた?
あえて厳しいコースが選択されたというのは、いったいどういうことなんでしょう?
ふたつの理由について、順に説明していきましょう。

理由その1 箱根には、天下の険と歌に残る険しい山があったから

金栗四三を含めた3人の男たちが計画した「アメリカ大陸横断駅伝」。
本気で開催にこぎつけるつもりだった彼らは、資金の調達などを進めます。
さらに、大学などと協議を重ね、アメリカで走る選手の選考のために予選をおこなうことが決まりました。

予選会のコースを選定するとき、重視されたのは本番のアメリカで走ることになるコースの特徴です。
金栗四三たちが想定していた「アメリカ大陸横断駅伝」のコースは、ロッキー山脈が含まれる過酷なもの。

険しいロッキー山脈を越えて走る選手を選ぶのですから、予選会のコースもロッキー山脈にはかなわずとも険しい山を含むことが望ましいのではないか。

金栗四三らはそう考えたのでしょう。
そのため、ほかに候補に挙がっていた平坦な道の多いコースではなく、天下の険を含む「東京〜箱根間」が予選会の地に選ばれたのだということです。

理由その2 「東京~箱根間」が、交通の利便性に優れていたから

予選会のコースを選考する際、「東京~箱根間」のほかにもいくつか候補はありました。
そのうち、前述の理由で「東京~水戸間」という平坦なコースが選択肢から外れることになります。

もうひとつ挙がっていたのが「東京~日光間」です。
こちらの案は、交通の利便性が良くないとの理由から決定に至りませんでした。
東京から栃木県にある日光までは箱根にくらべて距離が長く、開催するとすれば片道コースになってしまうのも利便性の面でよくなかったようです。

候補に挙げられたコースのうち、交通の面でもっとも便利だったのが「東京~箱根間」だったことも、「東京~箱根間」が予選会の開催地に決まった大きな理由のひとつでした。

天下の険と名高い箱根の山の険しさと、交通の便の良さ。
このふたつが予選会の開催地を「東京~箱根間」とした大きな要因だったんですね。
箱根駅伝がなぜ箱根で開催されるようになったのかという疑問の具体的な回答ともいえそうです。

結局「アメリカ大陸横断駅伝」は開催されたの?

金栗四三らが夢見た「アメリカ大陸横断駅伝」ですが、残念ながら開催には至りませんでした。

諸事情により計画がとん挫してしまったということです。

本気で開催を目指していただろう金栗四三たちは、やはり落胆したのでしょうか。
彼らの気持ちを想像すると複雑ですが、ただ、想定されていたのは砂漠や険しい山々を越えなければならない過酷なコース。
選手の安全のためには、実現は難しかったかもしれませんね。

「アメリカ大陸横断駅伝」は実現されませんでした。
しかし、その予選会は実際に開催され、メンバーをそろえることのできた4つの学校の学生たちが実際に「東京~箱根間」のコースを駆け出していったそうです。

そして、このときの予選会は「箱根駅伝」として今も残っています。
こういった経緯を経て、箱根駅伝は、箱根で開催されているのです。

肝心の「アメリカ大陸横断駅伝」は開催されず、予選会だけが定着して今に残ることになったとは面白いものですね!
大きな夢の実現には至りませんでしたが、箱根から世界に通用するランナーが育つことになれば、金栗四三たちの思いは報われたといえるのかもしれません。

まとめ

  • 箱根駅伝の始まりは、金栗四三らが計画した「アメリカ大陸横断駅伝」の予選会だった
  • 「アメリカ大陸横断駅伝」は、世界に通用する日本人長距離ランナーの育成を目指して計画された
  • 「アメリカ大陸横断駅伝」ではロッキー山脈を越えるコースが想定されていたため、険しい山登りを含む「東京~箱根間」が予選会のコースに選ばれた
  • また、交通の利便性に優れていたことも、「東京~箱根間」が予選会のコースに選ばれた理由のひとつである
  • 「アメリカ大陸横断駅伝」は実現しなかったが、「東京~箱根間」で開催された予選会は現在も開催されており、「箱根駅伝」として親しまれている

「箱根駅伝は、なぜ箱根なんだろう?」
多くの人の頭に一度はよぎる疑問なのではないでしょうか。
今回の記事でその疑問は解消されたでしょうか?
強い長距離ランナーを育てたいという思いが、あの過酷なコースの始まりだったんですね。

参考元:日テレ第86回箱根駅伝公式サイト
参考元:福本武久の小説工房

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次