読売ジャイアンツ、通称「巨人」が4位でシーズンを終えることが決まった2022年のセントラル・リーグ。
強豪チームという印象が強い巨人ですが、今年は残念ながらリーグ下位を指す「Bクラス」入りという結果になりました。
巨人のBクラス確定は実に7年ぶりのことだとか。
成績上位の「Aクラス」常連というイメージがある巨人。
しかし、これまでにも何度かBクラス入りを経験しているようです。
いったい何回くらいあるのか気になるところですよね!
優勝およびAクラス入りを逃すと取り沙汰されるのは監督の去就問題。
今年巨人を率いたのは原辰徳監督ですが、複数年契約で任期が残っているにもかかわらず、その去就が気になる人も多い様子です。
巨人をBクラス入りさせてしまった場合、その年の監督はやはり辞任という形で責任をとらなければならないのでしょうか?
そこでこの記事では、巨人がBクラスで終えたシーズンとその監督の去就について調べてみました!
巨人がBクラス入りこれまで何度ある?まさかの最下位も!?
巨人が最終成績をBクラスで終えたシーズンは、今年を含めるとこれまでに9回あります。
日本プロ野球がセ・リーグとパ・リーグの2リーグ制になったのが1950年。
それから2022年まで73回のリーグ戦のうち、4位以下になったのが9回だけということです。
全体の約1割になりますね。
ちなみに、セ・リーグで巨人の次にBクラス入りした年が少ないのは中日ドラゴンズで、これまで26回でした。
やはり、巨人はBクラス入りの経験が少ないといえそうです。
このように多くのシーズンをリーグ上位で終えている巨人ですが、実は最下位になってしまったことがたった一度だけあります。
1975年のことで、当時の監督はなんと「ミスタージャイアンツ」と呼ばれたあの長嶋茂雄さん!
監督就任1年目だったといいますから、大スターといえど監督としてのスタートは厳しいものになったようです。
それにしても、最下位で終わったシーズンが73年の間にたった一度だけというのも驚きです。
Aクラス常連の強豪チームというイメージは間違っていなかったということですね。
巨人初のBクラス、当時の監督の去就は?
プロ野球において成績不振の責任をとる形で監督が辞任することはめずらしくありません。
今シーズンも、広島の佐々岡監督やロッテの井口監督など思うように成績を残せなかった球団の監督が志半ばで退任を発表しています。
これまでAクラス入りを逃した巨人の監督もまた、責任をとって辞任しているのでしょうか?
巨人で監督を務めた人物のうち、Bクラスでシーズンを終えたことがあるのは6人。
そのうちBクラスとなった年に監督を辞任したのは、意外にもたったひとりだったようです。
2リーグ制が始まって10年以上が過ぎた1962年、巨人は初めてBクラス入りの屈辱を味わうことになります。
その年監督を務めていたのは「打撃の神様」と呼ばれた巨人OBの川上哲治さんでした。
それまでの巨人は12年間で9度の優勝を誇る強豪チーム。
川上さんの監督就任初年度である1961年もリーグ制覇を果たしており、その翌年の4位という結果にチームやファンは大きなショックを受けたであろうことが想像されます。
球団初のBクラス入りを経験することとなってしまった川上監督ですが、結論から言えばその年に退任はしていません。
やはり批判はあったようですが、当時の球団オーナーである正力松太郎氏の意向で続投となったのだとか。
その後、川上監督は就任からなんと14年にもわたって巨人の監督を務めあげ、11回のリーグ優勝を果たしています。
1965年からは驚異のリーグ9連覇も成し遂げました!
球団初のBクラス入りの屈辱を味わった監督は、巨人軍の歴史に大きな足跡を残すこととなったのです。
・川上哲治監督 1962年(4位)⇒続投
まさかの最下位!長嶋監督の去就は?
言わずと知れた大スター長嶋茂雄さんが巨人の監督を務めたのは、2度の就任期間をあわせて15年。
そのうち意外にも3度のBクラス入りを経験しています。
就任初年度の1975年にいたっては、先述のようになんと最下位!
巨人初の最下位、チームの衝撃やファンの嘆きはどれほどのものだったか……
いろいろな声があったことは想像に難くありませんが、長嶋さんは翌年も監督を続投しています。
現役引退から間もないスーパースターに対しては、批判の声も少なかったのでしょうか?
就任したばかりだったということもあったのかもしれませんね。
就任1年目を最下位でスタートした長嶋監督は、2年目には一気にリーグ制覇まで駆けのぼります!
さすがミスター、ドラマチックです。
長嶋監督2回目のBクラス入りは5位で終わった1979年。
それまでに2回の優勝を果たしていたこともあってか、このときも退任することはなかったようです。
しかし、翌年のシーズンを3位で終えると、3年連続優勝を逃したということで辞任に追い込まれてしまいました。
たった3年の間優勝できないことが許されないなんて、厳しいですね。
その後再度監督を務めることになった長嶋さんは1997年のシーズンを4位で終えていますが、このときも引責辞任ということはありませんでした。
・長嶋茂雄監督 1975年(6位)⇒続投
1979年(5位)⇒続投
1997年(4位)⇒続投
Bクラスで終わった年に辞任した監督はいるの?
球団初のBクラスでも、球団初の最下位でも、監督の即時辞任にはつながらなかったようですね。
でも、残念ながら辞任することとなった監督がひとりだけいます。
川上監督、長嶋監督のほかにBクラスを経験したのは
- 藤田元司監督
- 堀内恒夫監督
- 原辰徳監督
- 高橋由伸監督
この4人。
このうち、Bクラスとなった年に辞任したのは、2005年にシーズンを5位で終えた堀内恒夫監督です。
巨人のエースピッチャーとして大活躍した堀内さんですが、監督としては就任1年目が3位、2年目が5位という結果に。
就任2年目の堀内監督は球団との契約を1年残していましたが、にもかかわらず、わずか2年で監督を退任することとなってしまいました。
歴代の巨人の監督は大抵少なくとも一度は優勝の喜びを味わっていますが、堀内監督は優勝経験のない数少ない監督のひとりです。
今もご自身のブログで巨人や野球への愛があふれる文章を綴られている堀内さん。
ちょっとせつない気持ちになってしまいますね。
・堀内恒夫監督 2005年(5位)⇒辞任
ちなみにほかの3監督は、
・藤田元司監督 1991年(4位)⇒続投
・原辰徳監督 2006年(4位)⇒続投
・高橋由伸監督 2017年(4位)⇒続投
と、Bクラスになっても退任することなく翌年もチームの指揮をとっています。
以上のように、Bクラスとなったシーズン限りで監督を辞任したのは堀内さんひとりだけだったということがわかりました。
たとえ巨人であっても、Aクラス入りを逃したからといって必ずしもすぐさま退任しなければならないということはないようです。
辞任しなかった川上監督や長嶋監督、原監督は、Bクラスを経験した後にチームを何度も優勝に導いています。
一方で、堀内監督はわずか2年で辞任。
実は高橋由伸監督も3年という短い期間で監督を退いています。
高橋監督の監督成績は3年間で2位、4位、3位。
3位で終わることとなった最後の年、3年間優勝できなかった責任をとり、自ら辞任を申し出たそうです。
やはり常に優勝が求められている巨人という球団の厳しさが感じられますね。
そして、今年。
昨年球団と複数年契約を結んだことが報じられている原監督は、任期半ばということになります。
このまま続投となるのが既定路線だと考えられますが、どうなるでしょうか。
昨年の順位は3位、今年が4位ですから、来年優勝を逃すと長嶋監督や高橋監督と同じく3年間優勝から遠ざかることになってしまいますね。
Bクラスの翌年、巨人の成績は?
今年を除いて8度のBクラスを経験している巨人。
Bクラスで終わった翌シーズンの成績はどうだったのか調べてみると、意外なことがわかります。
・1962年(4位)→1963年(1位)
・1975年(6位)→1976年(1位)
・1979年(5位)→1980年(3位)
・1991年(4位)→1992年(2位)
・1997年(4位)→1998年(3位)
・2005年(5位)→2006年(4位)
・2006年(4位)→2007年(1位)
・2017年(4位)→2018年(3位)
このように、Bクラスに終わった年の翌年にリーグ制覇していることが3度もあるのです。
8回のうち7回で翌年のAクラス入りを果たしており、Bクラスが2年続いたのはたった一度だけ!
これまでは、短期間でチームの立て直しを図ることができていたんですね。
今年は残念ながらBクラスという結果でしたが、来年はまた強い巨人が見られることを期待したくなるデータではないでしょうか!
【まとめ】巨人の立て直しに期待!
・巨人がBクラスでシーズンを終えたのは73年のうち9回、最下位は1回だけ
・Bクラスを経験した6人の監督のうちその年に辞任したのは堀内監督のみ
・3年優勝から遠ざかったことで責任を感じて辞任した監督がいる
・Bクラスが2年続いたのは一度だけ
・Bクラスの翌年リーグ優勝を果たしたことが3度ある
あらためて巨人というチームの強さと厳しさを知ることになりました。
原監督はこのまま続投となるのでしょうか。
これから巨人がどの監督のもとでどのようにチームを立て直していくのか、とても楽しみです!