【肺がんで亡くなられた三遊亭円楽師匠】人たらしで愛された食や人柄のエピソード

日本テレビ系列の「笑点」で不動の人気と安定感を誇り続けてきた三遊亭円楽さん、本名会泰通(あいやすみち)さんが72歳の若さで肺がんにより亡くなられました。普段から落語には全然興味がなくてもこの番組を通じて知っているという若い方も多いこともあり、この訃報は別の放送局でもテロップで速報されました。

目次

円楽師匠の人脈と人格

円楽さんは笑点を通じて大ベテランという印象を与えガチでしたが、もちろん円楽さんにも先輩はいらっしゃいます。そして円楽さんは後輩に慕われるだけでなく、先輩からも可愛がられる人として落語界では有名でした。これはひとえに円楽さんの人一倍以上の気遣いで築かれてきた愛され方です。
例えばこの「笑点」で長く共演してきた落語家の林家たい平さんはある有名な演芸コラムニストの方に円楽師匠の「気の回し方・目配り・気配り」の素晴らしさを語っています。

円楽師匠は「あんちゃん」と呼んで慕っていた笑福亭鶴瓶さんに自身の師匠を気に入っていた理由を聞き、変に持ち上げるようなことはしないでただ「大好きです、師匠」のオーラを出す技術の大切さを学んだと言われています。そのため、円楽師匠はしばしば「人たらし」と表現されますが、ここで言うところの「人たらし」は決してネガティブな意味ではありません。そして、おいそれと簡単に誰もが真似をすることができるような技術でもありません。

円楽師匠の人たらしぶりは、性別や世代関係なく初対面の人ともスムーズに親しくなり、気難しい人も笑顔にさせ、仕事だけでなくプライベートでも人と人との出会いをどんどん生み出してこられました。

例えば、今日の東京には落語協会、落語芸術協会、立川流、そして五代目円楽一門と行く数の落語関係の団体がありますが、博多でも札幌でもそして東京でも落語まつりの出演者はこの壁を越えて全て円楽師匠が抜群の人事力を生かして決めていずれも大成功を収めています。

カメラが回っていない時のパワフルな一面

最後に円楽師匠のプライベートな一面についても触れておきますね。三遊亭円楽師匠は東京の下町でお生まれになりました。ご自身が錦糸町、浅草、銀座のトライアングルで遊んできたと表現されることがあるほどチャキチャキの江戸っ子です。そして、大人になっても地元の友人とは子どもの頃と変わらず遊んでいらっしゃいました。

このプライベートな一面には「笑点の関係者が麻雀をしたり飲みに行ったりと、あれほど忙しいのに昔の友人とのつながりが切れないのは真似できない」と言われてきました。例えばゴルフコンペを開催したら大半の参加者が地元の商店主や友人だったことは有名です。

さらには景品を師匠自ら用意し、表彰式の司会もご自身でされるとあって、地元の方々を買って出る。あれだけ有名な方が昔と変わらぬ様子で遊んでくれるわけですから、地元の人は大盛り上がりで大歓迎されてきました。

このようにプライベートで人と人との結びつきをたくさん生み、さらに落語界でも生んできた円楽師匠はどこまでも「下町っ子」という表現がふさわしい庶民的なキャラクターでお茶の間でも愛されてきたというわけですね。

最後に高座に上がられた時は痩せていらっしゃった円楽師匠ですが、グルメをウリにしたり有名店から特別待遇されたりすることを望ます、気心知れたお店でリラックスして食べる時間を愛されてきました。

決してふくよかなイメージは持たれなかった円楽師匠ですが海産物は好まず、ご自身でチャーハンを作って食べる料理男子の一面もお持ちだったと言われます。

まとめ

もともと子どもの頃に鍵っ子なのでいつも自分で作った料理で空腹感を満たしたという時期も少なからず影響しているとも言われています。
三遊亭一門の大名跡である「三遊亭円生」の七代目としての襲名と五代目円楽一門会の将来を常に気にしていらした円楽師匠のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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