かつてM-1グランプリを制した漫才コンビ「ブラマヨ」こと「ブラックマヨネーズ」。
一時はバラエティー番組で見ない日はなく、このままテレビ界で確固たる地位を築くのだと思われていました。
ところが最近、ブラマヨをテレビで見かけることが少なくなりましたよね。
「ブラマヨは解散した」と思っている人もいるようです。
ブラマヨは本当に解散してしまったのでしょうか?
その理由は?
ブラマヨ解散疑惑からメンバー2人の現在まで、2人の番組での発言などからたどってみることにします。
ブラマヨって解散した?
たしかに、小杉さんと吉田さん2人そろってテレビに出ていることがあまりないですよね。
ブラマヨって本当に解散しちゃったんですか?
ブラマヨは、解散していません。
ただ、周囲が解散危機を感じるような不仲の期間があったのは事実だそうです。
ブラマヨは解散していない
この記事を執筆している2023年11月10日の時点で、「ブラマヨ」こと漫才コンビ「ブラックマヨネーズ」が解散した事実はありません。
テレビ界で謎の失速
1998年結成、2005年のM-1グランプリで王者に輝いたブラマヨ。
現在、メンバーの小杉竜一さんと吉田敬さんは2人とも50歳を迎えています。
M-1優勝後のブレイクを思えば、「2人が50歳を迎えるころには、全国区で多くの看板番組を持つダウンタウンのようなコンビになっているだろう」そんなふうに想像していた人も少なくなかったでしょう。
ところが不思議なことに、ブラマヨはテレビ界で勢いを失います。
看板番組が増えることもなく、それどころか2人そろっての番組出演すら少なくなってしまいます。
解散を疑う声が増えるのも当然だったかもしれません。
劇場出演予定がずらり
ブラマヨが本当に解散してしまったのか確認するために、所属事務所のウェブサイトをチェックしてみました。
すると、劇場公演の出演予定がずらり。
2023年の現在も、2人は漫才師として舞台に立ち続けていることがわかりました。
つまり、ブラマヨは解散していなかったようです。
解散危機かと心配された期間があった
解散の事実がなかったブラマヨ。
しかし調べてみると、周囲の人間が解散危機かと心配するほどコンビ間が険悪な時期があったといいます。
当時は、スタッフの前で言い争うこともあったとか。
ただ、現在は関係を修復。
ブラマヨは解散せず活動を続けています。
- ブラマヨは現在も解散していません。
- 解散危機と心配されたコンビ間の不仲も、現在は修復されているようです。
ブラマヨが解散危機を迎えた理由は?
解散かと思われるほど不仲の期間があったなんて。
仲が悪くなった理由はなんだったんですか?
ブラマヨ2人が不仲になった直接の理由は、
小杉さんが、吉田さんに相談なく子どもを東京の小学校に入学させたこと
だったそうです。
え?
どうしてそれが不仲の原因になるんだろう…?
コンビの将来に対する考えのズレ
ブラマヨの2人は、2023年の配信番組で当時不仲になった原因について説明しています。
それが、小杉さんの「吉田さんに相談なく子どもを東京の小学校に入学させた」という行動。
この行動が、なぜ吉田さんを怒らせたのでしょうか。
大阪に戻る時期
M-1優勝後、東京に進出した2人。
しかし、2人は将来大阪に戻るビジョンについて話したことがあったそうです。
将来、大阪に戻って劇場の漫才だけで活動する。
そんなビジョンについて、近い将来のことと考えていた吉田さん。
一方でまだ当分先のことと考えていた小杉さん。
ここで、すれ違いが発生してしまったようです。
小学校入学時、吉田さんに相談がなかった
そんな中、小杉さんの子どもが小学校に入学する年齢になりました。
小学校に入学すれば、簡単に転校させるというわけにもいきません。
近い将来大阪に戻ることを考えていた吉田さんは、小杉さんから子どもを東京・大阪どちらの学校に入学させるか相談があると思っていたそうです。
しかし、大阪に戻るとしてもずっと先のことと考えていた小杉さんは、吉田さんに相談なく子どもを東京の小学校に入学させてしまいました。
小杉さんに対して芽生えた不信感
当時小杉さんは、子どもが高校生になるまでは東京にいるつもりでいたとか。
少なくとも12年間は大阪に戻らないことになりますね。
近い将来大阪に戻る考えを持っていた吉田さんにとっては、ショックが大きかったのでしょう。
小杉さんに対して芽生えた、コンビの将来にかかわる重要なことを相談なしに決めてしまったという不信感。
それが、2人の不仲の原因だったそうです。
現在は反省
現在、小杉さんは当時を振り返って「考えが足りなかった」と反省を口にしています。
あれだけ東京で仕事がうまくいっていれば、当分は東京で活動すると思い込んでいても仕方ない気もしますが…。
お互いに将来についてもっと具体的に話し合っておけばよかったのかもしれませんね。
- 大阪に戻る時期について、ブラマヨの2人には考えにズレがありました。
- 近い将来大阪に戻ることを考えていた吉田さんにとって、小杉さんが相談なく子どもを東京の小学校に入学させたのはショックな出来事でした。
- コンビの将来にかかわる重要なことを相談なしに決めてしまったという小杉さんに対する不信感が、当時の不仲の理由だったようです。
解散していないのに、ブラマヨを最近見ないのはなぜ?
ブラマヨは解散していなかったんですね!
それならなぜ、ブラマヨをテレビで見ることが減ったんだろう?
ブラマヨが「最近見ない」と言われる理由は、
吉田さんが、仕事量を調節して家族と過ごす時間を優先しているから
だと思われます。
テレビから消えた? ブラマヨ吉田の現在
仕事量をセーブ
テレビ界で一時の勢いを失ったように見えるブラマヨ。
その理由は、なんと吉田さんが所属事務所に相談して仕事量をセーブしたからだといいます。
吉田さんがレギュラー以外の仕事を調節したことは、小杉さんが出演した『さまぁ〜ずチャンネル』(2022年4月15日更新分)などで明らかにされています。
レギュラー本数やテレビの出演時間をステータスにする売れっ子芸人も多い中、自ら仕事量を抑えたというのですから驚きですよね。
家族との時間を優先する決断
仕事量をセーブしてでも家族との時間を優先したかった吉田さん。
この決断に至るまでに、
- 子どもが歩くようになっているのに時間が経ってから気づいた
- 子どもの父親参観に、クラスの父親で自分だけが参加できなかった
といったショックな出来事の積み重ねがあったそうです。
その結果、レギュラー番組以外は小杉さんが単独で活動することが増えたようですね。
家族は大阪
吉田さんは現在、大阪にも自宅を設けているそうです。
家族は大阪で暮らしているとか。
近い将来大阪に戻るという考えの実現に近い生活をしているのかもしれませんね。
一方で、小杉さんは現在も東京に在住しています。
- ブラマヨがコンビでテレビに出演することが減ったのは、吉田さんが家族との時間を優先するために仕事量をセーブしているからです。
- 吉田さんは現在大阪にも自宅があります。
ブラマヨ、現在のレギュラー本数は?
実際コンビの仕事ってどれくらいしてるんだろう?
ブラマヨの現在のレギュラー本数が知りたい!
現在、ブラマヨがコンビでレギュラー出演しているテレビ番組の本数は、4本です。
レギュラー本数は4本
ブラマヨのレギュラー番組一覧
『ウラマヨ!』 | 関西テレビ |
『ホンマでっか!?TV』 | フジテレビ |
『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』 | TBS |
『ブラマヨ弾話室~ニッポン、どうかしてるぜ!』 | BSフジ |
4本は少ない?
現在1番の売れっ子といわれる後輩芸人の「かまいたち」は、レギュラー本数10本以上だとか。
一時ブラマヨも同じくらい勢いがあったことを思えば、コンビで4本というのは少ないのかもしれません。
しかし、そこには考え方の違いがあります。
幼少期の貧しかった経験から「稼げるだけ稼ぎたい」「仕事が増えるのがうれしい」と発言しているかまいたちの濱家さん。
それに対して、ブラマヨ吉田さんが目指すのは「家族との時間を十分に持てるだけの仕事量」でした。
安定したレギュラー番組が4本あれば、収入的にも家族との生活を守るのに十分なのかもしれませんね。
それぞれのペースで
ちなみに、小杉さんは『ブラマヨ小杉の「走れ!こすっちょ」』(BSよしもと)、吉田さんは『旬感LIVE とれたてっ!』(関西テレビ)にそれぞれ単独でレギュラー出演しています。
小杉さんはその他多くの番組にゲスト出演していますし、吉田さんには継続して出演しているYouTubeの番組もあるとか。
もちろん、2人での劇場出演も続けています。
コンビでのテレビ出演が多いわけではありませんが、それぞれ自分のペースで活躍を続けているようです。
- 2023年11月10日現在、ブラマヨがコンビでレギュラー出演しているテレビ番組は4本あります。
まとめ
- ブラマヨは現在も解散していない
- ブラマヨの2人には解散危機とも思える不仲の期間があった
- 不仲の理由は、大阪に戻る時期について2人の考えにズレがあったことである
- 2人の考えのズレは、小杉さんが吉田さんに相談なく子どもを東京の小学校に入学させたことで明らかになった
- ブラマヨが解散危機を脱したあともコンビでのテレビ出演が少ないのは、吉田さんが仕事量をセーブしているからである
- 吉田さんが仕事量をセーブした理由は、家族と過ごす時間を確保するためである
- 吉田さんは現在大阪にも自宅がある
- ブラマヨの現在のレギュラー本数は、4本である
自分の希望するライフスタイルのために仕事量を調節していたとはびっくり!
芸能人にとって勇気のいることだったんじゃないでしょうか。
コンビでバリバリ仕事をしていたころが懐かしくもありますが、解散という決断に至らなくてよかったとも思います。